しんどさも多様にある。絶望は絶壁か荒野か星空か。

GWにて「田植え関連作業の手伝い」で帰省したが、内1日はくたばって寝ていた。

両親は寝坊だと思って忙しなく起こそうとしていたが、「なんかうるせえなー」ほどにしか聞こえず寝ていた。飯も準備され、貧乏性と気分転換できるかとなんとか食べて、作業着も着てみるが、動く気になれずまた寝ていた。飯どきは頑張って起きるが、顔の表情を見るのも疲れるので、ハットを目深に被りながら食べた。

途中から起こす声が聞こえなくなり、次の日には体調について聞かれた。

年の1/3~半分をくたばっていた最初期の死線ギリギリに比べると、だいぶ健康になったはずだが、まだ抜け切らない。

 

問題は、最悪を想定してこの体調をひきづったまま生活していくとした時に、自立した生活するためにはどこを基準にして準備していけばいいのか、すごくわかりにくいこと。

こだわりはあまりないから、小さいことから何でもできそうな気はするけど、当然「健康な体」前提のことがほとんど。配達系も、「元気な時にいつでもできる」はセーフティーなものとして助かるけど、虚弱に夏場はくたばれるし、「詰めてできる人」以外は運でしかないことが判明してる(待ち時間すごいし、どれだけ詰められてる人がいるかも疑問)。

 

今まで「できる限り節約する」で、あえて細かく見ずに生活してきた(細かく見たせいで絶望しそうな気もしたから)けど、すごく気分と体調が良い日に改めて、自分の最低限のランニングコストについてまとめていきたい。

 

自分じゃない外側だけを見て生きられたらどんなに楽だろう、とよく考えてしまう。