(曖昧にだらだらと)原動力と、恋愛と、自分の輪郭と。

ず〜っと考え続けてるものの1つは「てめーの原動力は何なんだ?」ってこと。

少しづつ強くはなりたい(心も体も)けども、ここ1年(というかずっと)自分の『器の強度』を見つめるようなことは幾度となくあり。コントロールして強くできそうって部分と、一生背負う体質とか遺伝子レベルのものなんじゃないかってことの間で漂い続ける毎日です。

 

ふと、父親の「負けず嫌いって大事」という、少年期に言われた当たり前のことを思い出す。それはサッカーを楽しんでた時期のことで、特にスポーツに絡んだことの言葉だったけど。スポーツで大事なことの1つは『ルールが明確でわかりやすい』ことだと考えていて、その上での勝負はわかりやすい。

スポーツ以外では、とかく世の中は誰かの勝ち負けで作ってもらえてる部分がめちゃくそデカイし、そのありがたみは重々感じるけど、フリーダムな分、「勝ち負けを原動力にすべき」的な場所はついていけないんだろうなって、捨てられない虚弱部分から思う。(この虚弱部分というか、諸行無常感というかが、今考えると少年期から感じてた気がするから、どの辺から背負ったのかむりくり思い出すのは、また後日にしようと思う)

 

 

引越しに際して、書籍やら雑誌やらの整理にあたり、「恋愛のマッチング」なんてものが目に引っ掛かった。→

原動力から考えても、おのずと「恋愛」にもぶち当たる。(こんな歳になって「恋愛」とまじまじと書くのもヤバすぎる気がするけど、自分の一生背負いそうな虚弱部分を思うと「結婚」と気合入れるのもなんか違う気がして。)

たぶん、自分独りで寿命まで歩き続けるには長すぎるような体感があって、「長く関係を持ち続けたい間柄」の一形態に、恋愛ごとは大きくそびえ立っている気がする。。自分から素直に相手を求められる程には、数年単位で頑張りたい。

→そもそも出会うために「マッチングサービス」ってのは、なるほど大事かもと思えるんだけど、アナログおっさんとしては「最初の挨拶がてらな自己紹介ページに、何を書くことが適切なんだ?(そもそも書けることがあんまり。。)」と、駄文だけは長々書きながら感じる。

こういう時に『他薦』っていうのは、何かひっかかりがある。「自分こんなやつ」も大事だけど、長年見知った誰かの真面目な感想は、ある側面の答えまんまな気もするし。(ネット上だと、自薦・他薦を明確に分ける方法も大変そうだが。。)

過去を振り返ると、恋愛ごとは「なんとなく」でしかなかったから、「プロフィールを言葉で書き連ねてもな〜。。」と一瞬よぎるあたりが、自分しょうもないなって思う。自分の中で大恋愛だった彼女は、法学部クラスで同グループ作業のために会話してみるまでは、どこかで見かけてても一切反応してなかったし、「うわ〜ヤベー好き... !」と自覚した段階でも、細かく趣味やらなんやらがわかっていたわけじゃ全くなかったし。(結局うまくいかなかったことを考えると、事前に自分を細かく開示していった方がうまくいく可能性が上がるんじゃないかってのはわかるんだけど。)自分の中のスイッチが自分からしても、尽くアナログかつブラックボックスなんで手強い。

 

というわけで、今後出会える(かも)人に対して、どんな『自分の輪郭』を出せばいいのかと、ふと思った、という。このブログを直接教えられる人は、自分の中では相当好きな人たちだと思うんだけど、そんな人たちにはそもそも既に自分の輪郭はわかられているという笑。

 

今後も、原動力と恋愛と、に関してフワッと考え続ける気がする。