毎日降り注いでほしい。

毎日、起きた瞬間から考えるのは、ただ「今日は元気をくれ」である。

 

・(慢性的な何かで、炎症ではあると思うし、病気かその半歩前ではあるやも)で、「明確な病宣告されたわけでも、余命宣告されたわけでもない。大病で動けすらしない人からしたらめっちゃ健康よりだし、ありえないけどなんなら明日から何もなかったように元気になっていいじゃないか。」なんて何度となく思うけど、まだ低空飛行、ほふく前進的です。

 

・(話は飛ぶが)自分のこんな体と元々の性質について考える中で、情けなくも一つ慰めなのは、「羨むものがお山の大将じゃない」こと。

例えばスポーツ選手なり、規模の大きな何かを背負うポストなり。年齢的に、このタイミングにはざっくりこれぐらい見込まれなければならない、ていう種類の場所にどこまでも心焦がれてしまう人にとっては、長い時間のストップは=その道の死だし、仮にその人が自分のような体だったら道を誤ることは十分ありえると思う。(そんな自分だからこそ、走り続けられることへの畏敬の念はたぶん相当強い)

自分がどんだけ年齢的に遅れてて底辺でも、元気で動けたら近づけそうな何かで、いつか自身を納得させられるんじゃないかと、なんとか寝て起きて寝る毎日です。