「不安定」と「ほんの少しのマイナス」と「ただぼんやりとした不安」

泥沼化している状態のはじめはどんなだったかをなんとなく思い出そうとおもいながら書く。(結局全然違うことが原因なのかもしれないし、原因がないかもしれないけど、それは一生わからないからなんとなく覚えてる部分を)

 

 

前提として「不安定な体」→配達員という動ける時だけでもできる稼ぎ方に、最低限度の希望を持っていたのがある。多くの働き方は定時が当然だし、自分もそんな体に戻したいが、直近はそんな傾向がなかったから、なんとか回復するまでは自分で保たせるための良い方法だとは思ってた。履歴書や面接もなく、体さえ動けば稼げるというのは現代にしかないシステムだし、ただただありがたいはずなんだけど。

 

・7月中からだったか。(配達に閑散期とか繁忙期とかあるのは当然わかるが)そんな幅ではなく、明らかにシステム変更があったと思えるほど稼げる時間がなくなり(ピーク時間が短くなるとかではなく、ほぼなくなった)。外にいるだけで体力が削れるような時期に元々の体調も重なって長時間稼働もできず生活費分すら稼ぐのが難しくなり、「土日はまだピークとかもあるかも」とか思いながら、自宅で栄養ドリンクと1食食べて「明日は気分もいいかも」とか祈りながら寝てた気がする。

システムが以前の状態には戻らないと日々の傾向を見て確認してしまった後は、「配達に出ようか、でも家で休んだほうが体調も生活費もいいんじゃないか」とか考えてしまい、なんとか出ても結局稼げないで短時間で滅入って帰宅し休む、とかしていたらどんどんベッドにいる時間が増えていった気がする。

 

・そんな時期に、身の回りのふとした物が壊れてしまったりしたのも、今となっては習慣が崩れた小さい要因な気もする。

あれは元総理が亡くなった次の日だったか。レコーダーの故障。番組が突発的に大量に関連番組に差し替えられた影響がでたのか番組録画機能が働かなくなり、購入から1年もたたずにレコーダーの意味がなくなった。今の自分にとってはだいぶ高価なものだったし、状況的にもまともに買い換える気にはなれず、「いいや、そもそも本当に見たい番組があるのか、試しにそのまま生活してみよう」と思ってた。

良い番組は良いし、それ以外はもっと有意義な時間の使い方があるとは当然思うんだけど、今の自分にとってはどれだけ受容的でも「日常的にチェックする」ことが体を起こしていること自体に少しでも寄与していた気がしている。「むしろ良いのかも」と思っても、そんな簡単に良くならないから、むしろなんだなと思う。

 

・前にも書いた気がするけど、「最低限度」というのが今の自分にとって影響が出る単語な気がする。どんだけおぼつかなくて苦しくても「最低限度」保てれば、まだ先を思えるというか。でもそこすら怪しく感じて、これがいつまで続くんだろうと思うと、なんか全部がぼんやりと苦しくて、どこかで見た「唯ぼんやりとした不安」を思い出した。

 

・「飲み会後に罪悪感を感じるかどうか」は、省みて不安定で苦しい状態だと自覚する一つの要因だと思う。7月中だったかな、まだたまに誘ってくれる元バイト仲間からのお誘いで、飲みに行った。会うこと自体が楽しいのは変わらない。けど、(今の状況を全部伝えてるわけじゃないから)何食わぬ顔で行ってる分、長時間になればなるほど、日頃のカツカツ具合とその場でのアンバランスさが際立って、その後なんとなく苦しくなり、ただただ情けなくなり。そもそも初めからすっぱり割り切れればいいんだろうけど。自分はまともに働けずいい説明もできず、どうすれば健全なんだろうとわからずに自己嫌悪。

年をとるごとに、ずっと前にどこかでみた「友人は近い収入の人が多くなる」なんて言葉の意味を実感してしまうけど、そんな言葉を忘れられる日がくるように祈ってる。あと、実感するからこそ「そんなことじゃないよな」とも思う。

 

・どうでもいいことだが、泥沼化している時は夢をめちゃくちゃ見る。夢は眠りが浅い時に見るんだと実感する。1日に短時間で何度も寝るたび、「たったあの時間であれだけの夢を見たのか?!」と驚く日があった。現実と夢を行き来しすぎると、戻ってくるたびに自覚するタイミングでドッと疲れるのはなんなんだろう。

 

・ベッドの上で、他にメモるべき根源的な悩みをいくつも考えた気がするので、思い出せたら書きたい。

 

(こんな上記内容と1ミリも関連性ないけど、いろいろ長いな〜というので思い出して、今年よく流してた曲を貼っ付ける)


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