ふと家族を想像すること。

(改めて心持ちが引き締まった感触があったので、ただメモします。長いです)

 

このコロナの影響で世界中大混乱。著名人が亡くなってしまい、改めて悲しみのコメントなりいろんな感情が、テレビでもSNSでもサロン内でも聞こえてくる現状です。

 

 

こういうタイミングでよく思うのは、いわゆる「象徴」的存在がいなくなるまで実感がわかないという人が多すぎない?ことですね。

(いや、そういうコメントを探しに行って、それに答えてる人を写してる→それを見てるから、そんな感触にもなるんだろうってわかるんですが)

 

かくいう私も、たぶんその1人な部分もある気がしています。次の仕事も控えていた、あれだけ元気で聡明な70歳がいきなりいなくなってしまう、というのはたしかに衝撃が大きい。自分も元気になってくれるだろうという希望的観測がとても大きく、同じように思ってた人が大半だったんじゃなかろうか。

 

「高齢者が危ない」というのは重々わかったんだけど、それじゃどこらへんからその高齢者に当てはまるのか。一人一人の体のコンディション(病歴やら持病やらも)もあまりに千差万別だから、みんながみんな気をつけるしかないわけですが。

 

 

この前実家の親から連絡があり、

祖母が腕を骨折(元々認知症持ち)→入院→コロナ対応で家族すら面会を控えるほど→食事をエンシュアという栄養剤に頼っているが、認知症で自分だけでは飲めず、看護師たちも忙しい中どれだけ対応してもらえるか、、

→骨折よりも全身状態が良くなく、急性腎不全に。。親類が顔を見に集まる予定に→親類で見舞い、いくらか顔色が良いような印象。

という流れの連絡を数日間で聞いてました。一旦安心しましたが、具合が悪くなることだって充分考えられるので、気持ちの準備はしとかなければ、とか。

 

自分の親だって、もう2人とも60を超える年齢。元気な70歳がいきなりいなくなってしまうことすらあることを考えると、何か返せそうな時に少しづつ返すとか、手伝うべき時に手伝うとか、できそうなことはしたいなと改めて思うわけです。

 

親からは「そっちでやれることが一番大事なんだから、まずはそっちを考えなさい。」とは言ってくれてるし、自分が親の立場で想像したら同じように言うと思うけど、離れてもできるバランスとか最低限忘れないでおくべきことはなんだろうとも、ふと考えたりする毎日です。全然答えは出てませんが、引き続き、ふと考え続けると思います。