要は、父親and友達との距離感の問題だったのかな。

自分のスキー体験を思い返し、「そういえば身近な父親が、指導できるレベルで上手かった(現に資格をとれて週末とかたまに教えてたはず)のに、こちらから聞こうとしなかったのはなぜだろう?」と思うと、結局距離感の問題になるのか。

 

(思いついた順にバラバラと書く)

 

というか、小学校高学年か中学以上になっても、めっちゃ話すような父・息子関係ってどれだけいるのか聞いてみたい。

今思い返しても「総体的に、しっかり良い父親をしてもらえたんだな」と感じられるから、悪い関係性では決してないと思うし有り難いなと思うけど、思春期には人並みに「うざったいな〜」となることはあったし、お互いにべらべら話す感じではない。

多くの父と息子は、これぐらいなんじゃないかなどうだろう。

 

変に記憶に残ってるのは、小学4年ぐらいでの骨折体験(これもずっと前にブログ書いた気がするけど、変な体験だった笑)。この骨折体験をした直後に父に「めちゃくちゃ痛いんだけど、どうすればいい?!」と聞いたら。折れた鎖骨側の腕をぐるぐる回されながら「腕回ってるだろ、大丈夫大丈夫」と言われ、次の日痛すぎて結局上がらない腕そのままに片手運転で整骨院に行ったら、「これはヤバそうだね、よく自転車乗ってこれたわ、レントゲンとりに行こう」と言われ、結果自分が見てもわかるほどポッキリ折れてて。それまではだいたい素直に話を聞いた気がするんだけど、「あ、親の話は全面的に鵜呑みにしない方がいいんだな」と決心した瞬間だった。笑 まぁ遅かれ早かれそういうタイミングはあるんだろうけど、自分はここだった気がする。

 

父が元々スポーツ好きで、サッカーの試合観に行かせてくれたりしたのが結局サッカーを始めるきっかけだったりしたんだと思うけど(自分が楽しくボール蹴ってたから観戦に行ってくれたのか、観戦して感化されてから蹴り始めたのかは覚えてない)。小学校のスポーツ少年団での試合とかもよく見に来てくれてたけど、周りの親より妙に熱く観られてたのが正直苦手で(友人間での空気感が微妙になるあるあるな感じ、声援の温度とタイミングってあるなと思う)、それぐらいからは同級生との関係性も改善されてたので、「親より友人」となっていった、気がする。

サッカーでは父自体が経験者ではなかったから、早々に自分の方が上手くなってしまったので、そこで何かを詰めていくことはなかったし。プロの試合観てとか、父なりにアドバイス的なのを言ってくれてたりもしたと思うんだけど、サッカー自体が団体競技要素強すぎて、すぐ自分自身の動きに還元していけることも少なかった気がするし。

 

 

めちゃくちゃスキーが下手だったりしたら、なんとか同級生に恥じないようにしたいと父に手取り足取り教えてもらったのかもしれないけど。もっと幼い頃にハの字で滑れるようにしてもらってからは、運良く運動神経は平均以上はあったので楽しく滑れる程度には自分でできたし、「細かく詰めていくために父に聞く or 楽しく滑る」なら後者でいいや、となんとなく感じてしまってたんだと思う。

家族でスキー旅行にも連れて行ってもらったけど、親や周りの上手い人の滑りをなんとなく眺めながら真似ながら、楽しく滑ってた。

 

 

あと、全然関係ないかもだが、親戚同士集まったときの父含めたおっさん同士の会話にもうまく絡めなかったのをなんとなく覚えてる。いろんな食や酒やゴルフ(広くスポーツ)や、うんちく含めた「いいぞ〜」話をしてたと思うんだけど、そのうんちく的な部分に共感できなかったのか、なんとなく上の空で、結局途中で席をたち部屋に戻って1人で遊んでた。

(おっさん同士楽しそうだったのは良いとして)おっさんになった身として、若い子をむだに上の空にするような態度はしないよう気をつけたい。