思い返せば、「弱さ」からのが多かった、気がする。

さっき自分の弱さに触れて書いたけど、そういえば自分は幼いころから、「弱さ」で方向性がつくことがあった気がする。

 

兼業農家の家に生まれて、幼い頃にも稲作とか農業を少しだけ手伝ったり、「農業はどうなんだ?」的に極軽く勧められたりもした(自分の特性を知ってるから強く勧められたことはない、というか最初から向こうも諦めてた気がする笑)けど、本業としてとか毛頭考えられなかったのは「肌の弱さ」もあった。

米関連の手伝いをする時には、もみ殻のチクチクさと格闘するのが必至で、幼いころから「手伝いどころじゃない!」という気持ちが大きく、自然と家の農業とは離れていった。仮に、もっと肌がバリバリに強く、ガンガン手伝いをし、どっかで好きになっていたら、秋田に残って農業していたなんて世界線もあったのか?と今になっては思う。この世界線では一切考えられないけど。汗

そんな感じで、スポーツや運動の要素以外では、だいぶドいんどあが板につき、今に至る。

 

服に興味を持ち始めたのも、「かっこいい服着て、めっちゃモテたい!」とかより、「あ、こっちの服着てた方が気持ちよくて楽だ。もう少し気持ちいいのあるかな?」が、時間かかる前の最初の入りとして、他の人よりだいぶ大きかったんじゃないかと思う。

「ファッションは我慢だ!」をガチで実践できる人たちのタフさは羨ましい。今でも、装飾性よりは機能美を選びがちな気はする。

 

 

これからの人生、もちろんいろんなことを「克服・乗り越える」ようにしたいと思う。が、仮に極論だけど「アレルギーも気合・根性・行動で治る!」的なことはさすがに暴論だし無理そうなカラダのようなので、

克服できるものと回避すべきものの見極めを体感としてできるようになりたいなと思います。