「あげたい」と思える人の条件とは。

講座で仲良くしてくれていたお兄ちゃん的方(再始動後に食事にも行ってくれた方)、「講座で世話になった講師含めて食事に行こう」と言ってくれてたがずっとバタバタのようだったので、久しぶりに連絡すると「10月で転職する。コピーライターの仕事も。」とのこと。ついに。

このお兄ちゃんにも、持ってる関連本をすべてあげました。

 

近しくなれた人(少なくとも、自分の中でドぶ厚いATフィールドがなくなった人)には、なにかをあげる行為に全く躊躇ないんですが、誰にでもできるかといえばそんなできた人間では決してない。

 

改めて、自分の中での最低条件は?とあえて考えてみると、

「仮にどうあっても邪険にしないでくれるという実感」なんだと思う。

 

あげるものについては、さすがに自分も「好ましいと思ってくれるか」いろいろ考えるわけですが(下手すりゃお節介なだけかもだし、その可能性は0にはならないし、毎回えいやって言い出すわけですが)

「最悪そうであっても、受けとめてくれる感」というか。

 

 

関連してるのか、嫌な思い出として逆に忘れられないのが、ずっと前のバイト先の先輩。

飲食関連だったので、上の人ほど細やかなイメージ(バイトの大学生ではだいぶ大雑把なやつもいたけど、社員とか社員目指してるような人たちは細やかな人が多かった)。

その先輩は契約社員、ことさら細かい男性だったけど、日頃なんでもグチってるのがキャラみたいな感じで。

仕事のことについて細かく言うのはわかるんだけど、同じ同僚のことについてもぐちぐち、あげく誰かの土産ものに愚痴ってるのを目の当たりにした時は、完全に自分の中でアウトになりました。(自分の中でのあだ名は「クソババア」だった)。「繊細」と「度量が小さい」の分別がついてないんじゃないかと思ってた。

その人に、今でもあげられるかと想像してみても、やっぱりあげたくないし、あげられない。

 

 

とここまで書いた自分も、だいぶケチ臭い側の人間だとは思ってますが、人として「備えるべき最低限の度量」というのはある気がしていて、それは守っていけるように、まずは見切れるようになりたいなと思いつつ生活します。