むしろ、後悔が深く刻まれるぐらいの体に戻りたい。

(経緯を長く書く)

・11/11(土)、夜に5年ぶりぐらいになる知人たちと食事する。自分合わせて男4人、講座で知り合った人たち。

退職して内定先3社で迷ってる人(自立神経失調症をひきづりつつ頑張れているらしい...!)、目指した業界ではうまく進めなかったけど前業界の大手に入り直して頑張ってる人、引き続き頑張ってるけどストレスを溜め込んでて酒とタバコと隣人について悩んでる人。皆さんそれぞれ悩みつつ、しっかり社会人として生活されてました。

 

→記念に撮った写真をラインのグループに投げられる。それに反応した女性がコメントする、他の3人がコメントせず時間が経って気まずくなり自分が返事する。そこから先の返信はなかったから「やっちまったか」と反省する苦笑(体調やら諸々の問題があって、自分は全然ライングループからも距離置いてた。その女性とは比較的仲が良かった方だった、と思う)

 

→次の日になって、「そういえばその女性さんはどうしてたんだろう?」と、ちょー久方ぶりにfacebook開いてみる。検索してみる。東京からは離れてゆったり生活しているようで、なぜかホッとする。

 

→「つーか今facebookに投げてるような近しい年代の連中いるかな?」と思い、友達リストを眺める。2023年はもうだいたいは投稿をやめてるようだった。どんな人登録してたっけとつらつら見る。

 

→大学時代の友人を見る。まだ投稿してたような時期から、大学卒業直近のあたりまで遡ってみる。

 

→唐突に、元カノの写真を発見する。「うわ〜〜こんな笑顔の人だったな〜〜ナツい...!」と、相当印象深い人だったからこそ記憶の形について不思議な感触を覚える。

ふつう「元カノのsns関連をのぞいてみる」って、初っ端にやらかしてすぐ失敗話になるようなはずなんだけど、その元カノは大学時代からfacebookをやってない稀有な方だったので、相当遅くなった。笑

 

→特に仲が良かった女友達のアカウントの方へ移ったおかげで、大学卒業後の数年の写真を何点か眺める。友達伝いに聞いてた結婚関連の写真を眺める(結婚式の写真。旦那さんが性格良さそうな人で、もう赤の他人なのになぜか勝手にホッとする。気持ち悪いのは自覚してる)。その2~3年後ぐらいに再会してて、ベビーカー横に赤ちゃんと立ってる写真(ママになったらこんな雰囲気なんだ、と妙に感慨深い)。その後はお互い忙しくなったのか疎遠になったのか投稿してないだけか、女友達と元カノの写真はなかった。

 

→元カノについて、いろんなもろもろを思い出してたんだけど、「悪いショック」を感じられなかったことが、むしろちょっと悲しかった。

合わないんだろうなと自覚しつつ振られた人だったから、結婚とか結婚後のことを見ても、そもそもそれ自体ショック受けるはずないし受けなかった。が、彼女なり妻なりがいないことへの「自分自身への不満」を突きつけられるかと身構えてたんだけど、その悪いショックが全然起こらなかった。。

→無意識にでも心身のすみずみまで、「それどころじゃない」が染み付いてて、普通の人なら感じるだろう後悔からすら相当距離ができてるんだろうな、と思い知った。「ゼッテーあの元カノより合う良い人見つけてやんよチクショー!!」と後悔できる方が、いかに健康なことかと。

人によって恋愛への関心の程度はあれど、「そもそも恋愛について想像できるか」は、お金問題含めた「心身の許容量」に密接に繋がってると思う。

 

 

まぁでも、人の幸せであろうことに素直にホッとできるのは、クズでもギリギリ生きてていいかなと思える自意識。あまりに畏れ多いけど、なぜかこの動画を思い出す。


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