今ケータイ2年縛りの切り替え時期が来ているので、家族割り使えるよう携帯会社ごと変えようかなと、細かく話を聞くためにショップへ出かけたりした。
(めちゃくちゃ街中に人がいて、クリスマスすげーと思った。)
クリスマスが来るたびに、自分にとっての「恋愛」とは?的にどうしてもふと考えるんですが、それの結論がタイトル的なことに。泣
クリスマスの、良くも悪くもな圧迫感に、まともにソワソワしてたのなんて大学生時期まで遡ってしまうのですが、どちらかというと「熱しにくく冷めにくい」側の自分としては、「熱しやすく冷めやすい」感のある人を見ると、微笑ましくもどこか冷める。
自分のブログなので、誰も求めていない情報もあえて書くと、
・『わかりやすい男らしさを求めない』で、『ネガティブな感情も受け止めたいと思う』人に会えたらな〜
と考えてたことがあるのを、思い出した。(自分のことで精一杯なので、そんなことすらすぐ出ないぐらいに忘れてた)
人並みに可愛らしい人は好きだけど、わかりやすい「女性らしさ」を求めたことは全く無いし、故に「男らしさ」を求められるとキツイ。
(自分で書いてて、どこか情けないけど。強い・優しい云々と、男らしさってどこか違う気がする。強くも優しくもなりたいけど、男らしくなりたいとは特に思わない。でも、男らしくありたいっていう男性は総じて好きなことが多いです。そこが不思議)
男女として「長く一緒に居たい」と思う人かどうかを自分が見る時に、例えば喜怒哀楽でいったら「怒・哀」の感情の発露の仕方を特に見てしまってる気がする。その発露すら自分が全部見たいと感じられるかどうかが、自分から踏み込みたいかどうかの1つの大きな一線な気がする。気になってた女性に対して、その一線で踏み込めなかった人は、ちょっと思い出せる。
それの大変なことは、そこを見るまでにも出会ってからだいぶ時間がかかる点です。汗
そんなことを気にしないほど強烈に好きになれればいいんですが、それはこの30年ちょっとで、大学生の時の1回きりだったなー。。
という、どうでもいい恥部を書いておきつつ。自分についてもまだ見ぬ誰かについても、たいへん時間が必要だと思うので、まずは元気であり続けられる社会人としての自分がないと始まらないという、いつもの答えにたどり着いて終わりです。